長距離通勤が身体的・精神的負担になる理由を考察してみました
こんにちは。「通勤自体がオーバーヘッドだ」という記事を先日書きました。こちらです。
karasuma-kitaoji.hatenablog.com
2月末までの名古屋新幹線通勤で疲労が蓄積しまくって、未だに抜けません。このことがあり、通勤で消耗する体力・気力も大きいというのを感じていました。そこで、消耗する構成要素について考えてみました。
- 通勤時間
- 通勤距離
- 通勤速度(最も高速な交通手段)
- (交通手段の)混雑度
- 文化圏の異なる地域への移動
最初は上記5点だと考えていました。これをツイートしてみた結果、他にも構成要素を提示していただきました。以下のような項目が挙がりました。
- (居住地と勤務地の)気候の違い
- (乗り合わせている電車の乗客の)人間属性
- 骨格への負担度合
- 乗車時にトイレに行けるかどうか
などが挙がりました。気候の違いはダメージ大きいですよね。特に冬場。大阪よりも名古屋の方が寒かったこともあります。途中に通る関ヶ原付近での降雪不安もありました。夏場でも、比較的暑くない地域から、やたら蒸し暑い地域に通勤するのも身体的にはダメージが大きいですよね。これは自助努力ではどうにもならない問題ですね。
人間属性についてもどうしようもありませんね。周囲の乗客は選べませんね。乗る電車の時刻を変更しても、属性を変えることにはならないのもつらいところではあります。
「骨格への負担度合」ですが、これは「加速度の変化による身体への負担」という話です。在来線より新幹線の方が加速度が大きくなりますよね。このへんが新幹線の方が疲れるという理由なのでしょうね。同じ距離でも在来線より新幹線の方が疲労度合が大きく、同じ所要時間でも在来線を使った合計2時間よりも、新幹線を使った合計2時間の方がしんどいと感じる理由はここにあるんでしょうね。
「乗車時にトイレに行けるかどうか」というのは、混雑度にも関係する問題でもありますね。満員電車で身動きが取れなければ、列車にトイレが設置された車両があっても行けません。尿意・便意と闘いながら移動するのは身体的負担も精神的負担も大きいですよね。
上記5点についての考察は後ほど進めてみることにします。