NW屋的日常徒然日記

ネットワークを専門にする元社内SEの日常とITネタ諸々を綴って行きます。

BSフジ「熱響の時・オールナイトニッポン50年の系譜」(その2)

 こんばんは。昨日参加した医療情報学会でもらったCD-ROMや抄録が読めてません。(^^; 情報処理安全確保支援士ネタの続きは近日中に書いてみようと思います。

 そこで、今回はオールナイトニッポン特番ネタの続きを書いてみます。前回の記事はこちらです。

karasuma-kitaoji.hatenablog.com

 まだ前半部分しか見てなかったんですよね。この記事を書いた時点では。後半部分を見終えましたので、続きを書いてみます。

 ナインティナインのオールナイトニッポン岡村隆史オールナイトニッポン

 現在も最長記録更新中ですからねぇ。ナインティナインのオールナイトニッポンとして始まったのが、1994年4月でした。当時は月曜2部で、「大阪へ帰りたい」的な空気をあちこちに匂わす番組だったようです。それでも当時は飛ぶ鳥を落とす勢いの「吉本天然素材」のメンバーでしたから、人気は高かったようです。そんなお二方ですから、たった3ヶ月で木曜1部への昇格を果たします。これには木曜1部前任者のましゃこと福山雅治氏が3か月間ツアーのため降板というタイミングも重なったこともあります。

 2部時代の話や、1部昇格直後の話も特になかったですし、99年に22時代になって「1時台に戻してくれ」と頼んで、半年で1時台に戻ってきたあたりの話は出ませんでした。中心になったのは、22時半頃にスタジオ入りしてきちんとリスナーのハガキを真剣に読むとか、辞め時の話とか、リスナーとしっかりと向き合っている様子がひしひしと伝わってきました。23年半になりますから、鶴光師匠の累積放送時間を超えているんじゃないかと思われます。

 個人的に取り上げてほしかったのが、たけし軍団のどなたかは忘れましたが、「木曜1部は殿がやっていた枠だ。大阪芸人にやってほしくない。この枠からどいてくれ。」みたいな話をしていたような記憶があります。水道橋博士も出演されていたので、そのへんの話も聞きたかったです。

 オールナイトニッポンZERO誕生秘話なども聞きたかったです

 MCとして、久保ミツロウ氏・能町みね子氏が出演されていたのですから、お二人がラジオデビューするきっかけとなった「オールナイトニッポンZERO」開始前のオーディションから番組が始まって1年の話と、1部に上がってからの1年の話が聞きたかったです。初年度のZEROは個性豊かな5組が出てましたので、横のつながりについても聞きたかったところです。開始前の記者会見で「1部昇格を狙います!」と言い切って、見事に実現させたことや、番組開始当時素人大学生だった本村康祐氏・西岡隼基氏の話も聞いてみたかったのですが、時間的制約もあったので残念ではありました。

 個人的に気になるのは、記念特番で必ず取り上げられる定番どころではなく、あまり取り上げられることのないパーソナリティにスポットを当てる内容でしょうか。このあたりの点を掘り下げる特番を期待します。