社会人大学院進学~修了・その後 【1】高3受験生時代編(前編)
こんばんは。長期連載になりそうな予感のする「社会人大学院進学~修了・その後」です。今回は1回目として、高3受験生時代編を書いてみることにします。
1回で終わらないかもしれません。その場合は、このパートを複数回に分割することになります。何分にも書きながら進めて行きますので、状況は随時変わってきます。
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上記の記事は、一連の話をこのように進めて行こうというおおよその流れです。
どこまで遡るかを考えていましたが、大学進学に向けて本格的に動き出した高3の頃から書いてみることにします。
高3当時の話になります。周囲に大学生がいなかったことと、両親が高卒で、自分が長男(姉はいないので一番上)なために、「大学生とは?」「大学とはどんなところ?」というリアルな情報を耳にすることがありませんでした。当時の自分にとっては、受験雑誌等でしか情報が得られず、「想像上の世界」でしかなかったです。
なので、具体的な目標を立てにくく、とにかくがむしゃらに走るしかないという効率性とは無縁の状況でした。
おまけに塾や予備校に通うことなく、教科書と参考書と参考書などを使っての独学でした。小学校時代に親に無理やり通わされた習字教室が嫌で嫌で仕方がなかったことで、塾嫌いになり、「誰かに教わる」ということまで嫌いになってしまっていました。
それに、当時は中二病を拗らせていて、「自分の進路を金儲けに使われたくない!」と思っていたこともあり、高校卒業まで独学で乗り切りました。
そんな状況でしたので、高2の終わり頃までは成績もそんなに良くはなかったのです。国公立・関関同立に手が届くなんて感じでは到底なかったのです。
しかし、高3になってから本気を出し始めて、関関同立の一角が視野に入り始めてきました。(因みに国公立狙いではありました。京大・阪大・神大に入れるなんて微塵も思ってませんでした。)
そんな状況ですから、当時は「とにかく大学に入ること」しか眼中になく、大学院の存在までは見えていませんでした。
周囲に大学生や大卒の大人がいないのですから、「大学院とはどういうところなのか?」など知る由もなかったのです。当時は自分にとって無縁な存在だと思っていたのでしょう。(大学のその先まではイメージ出来なかったのです)
そう考えると、両親が大卒以上(少なくともどちらかが)であるかないかというので、スタートラインは大きく変わるのだなと思いました。
(続きます)