NW屋的日常徒然日記

ネットワークを専門にする元社内SEの日常とITネタ諸々を綴って行きます。

警察のサイバー関連の話題が尽きないです

 こんにちは。兵庫県警が愛知県刈谷市の女子中学生を補導したニュースや、埼玉県警でのサイバー捜査員募集の話が話題になっています。現状の警察組織とサイバー犯罪対策の相性の悪さみたいなものが見えてきます。まずはこちらです。共同通信社の記事からです。

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 上記記事を読んでいて、世間一般と警察(この場合は埼玉県警)の意識のズレの大きさを感じました。体育会気質というのが大きな心理的障壁になっていると埼玉県警側に認識があるのかどうかが気になりました。自前育成出来ない領域の技術者を採用しておいて、「これはうちの組織では必須だからな。絶対にやってもらう」と言って、警察学校で柔道や交番勤務が義務というのも問題ではないだろうか。「警察官だから当然」という考え方は捨てるべきではないだろうか。「お互いの得意な領域を活かして、苦手な領域は相互補完する」という発想にはならないものだろうか。ダイバーシティが叫ばれて久しい昨今、能力の凸凹の大きさを肯定的に捉えるべきではないかと。各個人の凸凹を均す方向ではなく、凸の部分を活かして、凹の部分は他の人たちでカバーすれば、組織全体としてのパフォーマンスは向上するはずです。

 これも国公立大学入試で見られるように「全科目平均以上取れる人材優先主義」の弊害なんでしょうね。ゼネラリスト至上主義とでもいうか。このゼネラリストというのが曲者で、「なんでもある程度出来るけど、突出して何か出来るわけではない」という風になってしまっているのではないでしょうか。スペシャリストに対する評価が低い。というよりは、評価軸を持ち合わせていないというのが本当のところでしょうか。

 ゼネラリスト至上主義はバブル期までは良かったのかもしれませんが、少なくとも現代では無理があります。記事中でも「あなた方はダイヤの原石です。うちに来たら輝けますよ。」とあります。

 本来ならば「あなた方ダイヤの原石を我々が立派に輝かせて見せますよ」という表現にすべきところです。これは自助努力を要求しながらも、責任回避しているようにも受け取れます。それに「IT企業では埋もれるかもしれませんが」というのも、学生やIT企業に対しても失礼ではないでしょうか。

 先ほどの話に戻りますが、警察学校での柔道や交番勤務を経て、専門能力を発揮出来るのが3~4年後という点に危機感を抱いてないんでしょうか?ITの世界は陳腐化が早いですから、そんな悠長なことを言っていると、あっという間に使い物にならなくなってしまいます。前述の「うちに来たら輝けますよ」を根底から否定していることになっていることに気づいてないのでしょうか。これではダイヤの原石を粉砕していることになりはしませんかと。

 要求するのは「警察官としての理念」に留めていて、専門技術を最大限に活かせる環境整備(ハード面だけでなく、ソフト面(人的要素も含む)も)が最優先課題ではないでしょうか。

 …と書いていたら、結構な文字数になりましたので、兵庫県警に関する記事は次回以降にします。<(_ _)>